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第38回(平成16年度)社会公益賞:贈呈式

日 時:2004年7月16日(金)12:30~13:30
会 場:経団連会館9階クリスタル・ルーム

―第38回キワニス社会公益賞贈呈式―
受賞団体:発見工房クリエイト
理事長 橋本静代氏

授賞式

授賞式

授賞者

授賞者

○川﨑社会公益委員長より選考経過報告

新年早々から会員各位に候補者の推薦をお願いし、集まって参りました候補につき委員会で選考作業を進めました。それと同時に木全副会長のご足労をお煩わせして、皆様の支持が高かった複数の候補のところを実地見学と、代表者やメンバーの方々とのお話し合いをさせていただきました。そして絞込みましたのが本日社会公益賞を受賞されることになりました発見工房クリエイトの橋本静代先生です。心から祝意を表したいと思います。その活動については後ほど先生からお話があろうかと思います。

主だった事業を紹介すると、①ミニ科学館、②おもしろ実験教室、③科学対話です。木全副会長のお供をして現地を訪問させていただきましたが、川崎市麻生区にある多摩丘陵の山ろくの小さな丘の上にあります。1階が実験教室、2階が実験装置、器具などがびっしり並んでいました。ほとんどが手作りです。庭には科学の不思議さを子供に体験させるような科学遊具が設置されていました。決して交通の便利なところではありませんが、2時間以上もかけて子供達が集まって来るということは、それだけ吸引力のある施設だということだと思います。先生にお伺いしたときに印象に残りましたことをお話したいと思います。先生は東大をご卒業後、宇宙航空研に勤務され、その後ながらく東海大学で先生をされておられました。学生達を見て先生が感じられたことは、知識偏重教育と申しますか、これがもたらす弊害ではないでしょうが、思考能力、物を考える力に欠けるきらいがある、一方 知識偏重教育ではおきざりにされるような自分でじっくり考えるタイプの子供達が、中に入ってから伸びることがよく見られるので、教鞭をとっている中でぜひとも考える楽しさ、発見する喜びを与えるような指導をしてみたい、子供達の創造力を伸ばしたいという構想を暖めていらっしゃいました。

平成7年に大学を定年退職され、退職金をすべて投じて発見工房クリエイトを創立されました。10年近く大変なご苦労を重ねながら事業を進めて来られました。希望者が多く、小さな工房なので収容する能力がありません。そこで、インストラクターを育てることになりました。これに川崎市が支援することになり、指導者も少しずつ増えて来ました。この指導者達が先生の意を継いで、神奈川県内にとどまらず各地で実験教室を開いています。こういったご努力に対して深く敬意を表するものです。私たちが訪問したときに先生が述懐されたことは、年も年だし疲れましたというお言葉がありました。しかし、先生がお播きになった種は確実に広がっていますし、発見工房クリエイトの輪は県内外に少しずつ着実に広がっていると思います。今回の受賞を契機とされまして、もう一踏ん張りこういった創造力の豊かな子供を育てるべくご努力の程お願い申しあげて私の報告としたします。

○橋本静代氏より受賞のことば

このたびは思いもかけずにキワニス社会公益賞をいただくこととなり、大変光栄なことと喜んでおります。ありがとうございます。発見工房クリエイトは現在NPO法人ですが、その前身は私が30年近く勤務しておりました大学を退職したときの退職金で子供のための小さな科学館を建てたことが始まりです。私事で恐縮ですが、私は研究と教育に携わりながら3人の子供を育てて参りました。その人生の前半で最も苦悩してエネルギーの大半を費やして来たのは自分の子供の不登校でした。10年ばかりそのことを考え、あらゆる手を尽くして来ました。幸い自分の子供については解決の兆しが見えてきましたが、不登校児はその後増加を続けて、今日では大きな社会問題になっています。なぜこんなに不登校児が増えるのかいろいろな見解はあると思いますが、一番不幸なのは不登校せざるをえない状況にある子供達自身です。今現在こうして悩む子供達がたくさんいることに私は手をこまねいて見ていることができませんでした。定年後の人生はこの子達の目に輝きを取り戻し、夢中になるような場をつくりたいと、私にエネルギーが残っている間はそれに投入してみたいと思いました。私が子育てしていたころから考えていた科学遊びを実現することでした。子供は体を動かして遊ぶことが大好きです。思いっきり遊びながら科学の不思議に惹かれて行くような遊具をつくりたいと前々から考えていました。それがメビウス帯のわたり棒です。よじ登りながら不思議だなと思うようなものを考えていました。共振ブランコ、クラインの壷のアスレチック、回転ステージ「コリオリ」、フーコー振り子のブランコ、ポテンシャルすべり台なども考えました。遊びながら体験し、ポテンシャルは物理的には興味深いものですから、後々に習ったときに理解が早いのではないかと思いました。前々からこのような遊具を考えていましたが、つくってくれるところがなく、とうとう定年になるまで実現することはできませんでした。定年になって自分の土地に小さな家を建て、子供達が伸び伸びと遊べる場をつくりました。

子供達に実験をさせたいとおもしろ科学実験教室を開くことにしました。この教室は知識の詰め込みではなく、あくまで科学の考える楽しさ、自ら発見する歓びを子供達に知ってもらおうとするものです。一人ひとりの独創力を伸ばすことを第一にしてやっています。1995年12月にミニ科学館を建てたのが始まりです。当時、学習と言えば受験が目標と考えられていましたから、受験とはまったく縁がないこの教室に中学生が集まるか心配でした。また、場所は辺鄙なところですが、交通が激しく子供が来るには危ないようなところで心配でしたが、新聞に掲載されたので、最初から定員の2倍を越すほどの応募者が集まり、こちらの方が驚きました。そのころは熱心な学校の先生がおもしろい科学実験を工夫してされていましたが、そういう先生達は学校ではあまり評判の良い先生ではなかったようです。受験に関係のあることをやってくれと言われたり、親達からも喜ばれなかったようです。そういう先生達が協力して一緒にこの教室をやりました。その先生達もこの教室に子供達が来るかどうか心配していましたが、多くの子供が集まったということは、こういうことを希望している親も多かったということもわかり、非常に励みになりました。こんな教室ができるのを待っていたとか、絶対にやめないでくださいと励まされ、何とか続けて来ました。ここへ来る子供達の目は輝いていました。一度来るとおもしろいので、休まずに来てくれます。10時から夕方5時まで一つのテーマで実験をしました。長い子は5年も続けて来ていました。中には不登校の子供もいて、ここへ来ているときは元気で率先して実験をやっていました。スタッフ達はその子が不登校だとは信じられませんでした。その子は中学3年のときに自分に合う高校に行きました。むしろ不登校の子供達は科学が非常に好きで、優れている子が多いと思います。今の状態ではそういう子供は学校でいじめを受けて行かれなくなったりする状況があるようです。

1999年9月に発見工房クリエイトがNPO法人になりました。小中学生を対象とする科学実験工作教室を企業とのパートナーシップで行うようになり、数百人の子供を対象にして実施したり、地域の行政との共同イベントを実施したりして急速に広がりました。特に小学生の参加希望者が急増し、2001年になると、実験教室の予定は募集開始すると10日で1年分の予定が一杯になり、もっと教室を増やして欲しいという要望が非常に強くなりました。一つのNPO法人だけでは対応できなくなりました。科学技術創造立国を唱える日本の次世代の担い手育成にとっては好ましい傾向になってきたのですから、行政とNPOが共同して取り組んで行かなければならない問題だと考えました。

さらに市民のパワーも必要となることを強く感じておりましたので、行政に提言して一般市民を対象とする子供の科学体験活動指導者養成研修会を実施し、指導者を大量に増やして市民の手で行政と共同して子供達を育成していく体制をつくっていくという提案をしました。まず川崎市がそれを取り上げ、2002年度から予算につけてくれました。川崎科学塾の中に次世代の科学技術の担い手の育成を入れて、始まり、今年で3年目に入りました。昨年はその修了者達が市民団体を立ち上げ、市内の子供達に科学のおもしろさを知らせるためにボランティア活動を積極的に行っています。研修会に参加した人達は科学技術関係の仕事に携わっていた技術者、教員などの退職者、主婦、大学院生、現職の教員、その他様々な有能な方々です。これらの人達のネットワークで地域の子供達に科学のおもしろさを知らせる実験工作教室などを数多く行い、大きく普及に努めています。子供の理科離れが考えられないくらい科学実験教室の実施依頼がたくさん寄せられるようになって来ています。これからもどんどん活動を広げて参りたいと思っております。本日はこのような活動を評価していただき、社会公益賞をいただくことができましたことを深く感謝しております。