キワニスクラブは、奉仕活動を行う民間の団体です。

おもちゃびんだより

「おもちゃびんだより」第3号(2006.04.07)

「遊ぶ喜びと大切さ」

最初、遊びのボランティアというのは、看護婦さんたちの仕事の負担を減らすためにいるお手伝いのような存在だと思っていました。
けど、本当は、子ども達に必要な存在だということに気付いた。僕のように病気で入院している子ども達は、毎日点滴につながれ、
生活の場が病院という限られた環境の中で、つらい治療に耐えながら、日々病気と闘っています。
入院中は、外で遊ぶことや学校などに行くことができません。でも、入院している子ども達にも楽しみがあります。
それは、遊びのボランティアさんが遊びに来てくれることです。みんな、遊びのボランティアさんが来ることを知ると、
いつもは飲まない薬を頑張って飲んだり、身の回りのことも自分ですませたりします。
限られた時間の中で、さまざまな遊びを子ども達に提供してくれます。患者としてではなく、
一人の子どもとして接している態度にも感心しました。
入院中は、つらい治療や注射の毎日で、楽しいことなんて一つもないし、ストレスや不安などが増えるだけだけど、
そんなストレスや不安を少しでも和らげてくれるのが、遊びのボランティアの人達です。
ボランティアさんと遊んでいる時は、入院中の不安やつらさを忘れさせてくれるし、自分にとっても楽しい時間だと感じられる。
入院生活はとてもつらいです。でもその分、自分と同じように病気で長期入院している子ども達の気持ちを理解することができます。
入院中は、家に帰りたいとか外で遊びたいなどという気持ちでいっぱいです。
そんな子ども達もボランティアさんと遊んでいる時は、入院中のつらさを忘れてしまうぐらいニコニコしています。
子供にとって遊ぶことは、治療以上に必要で大切なことなんだと感じられます。

「おもちゃびんだより」第2号(2005.12.27)

前回のおもちゃびん便りで紹介したかなのちゃんですが、 11月3日の夕方に天国に旅立ちました。
移植後のかなのちゃんの、病気との闘いは壮絶なものでした。14年間この活動を続けている坂上さんでさえ、
こんなに苦しみぬいている子は初めて見たとおっしゃっていました。吐いて、吐いて、吐いて、吐くものがなくても吐いて。
体中に湿疹ができ、皮膚がぼろぼろになって別人のようになりました。不安から、ボランティアがいる間でもママを呼び続けて
いることもありました。しかし、かなちゃんは 起き上がれない状況になってもいやなものはいや、したいことがあるときはしたい、
と自分の意思を主張し本当に立派に生きていました。自分の命に真正面に向かい合い、精一杯生きていました。
ベットから起き上がれなくなっても、意識のないような状態になっても ボランティアが遊びに行くとそれまで病気との闘いの辛さから
険しくなっていたかなちゃんの表情が 和らぎました。歌を歌うとかなちゃんも一緒に口を動かしながら歌い、ほほえみました。
こんな状況でかなのちゃんが笑えることに、付き添っているご家族や医療スタッフも驚いていました。
骨髄移植後に病室にボランティアが入るのは、全国的に見ても本当に異例のことだと思います。
しかし、私たちはたった8歳の子から、私は本当にかけがえのないたくさんのことを教わりました。
そして、かなのちゃんは病気の子どもに楽しい時間を作ってほしいという メッセージを残してくれました。
キワニスさんからいただいたお金も今回の活動に役に立たせていただきました。
佳奈乃ちゃんと一緒に遊ぶおもちゃに使わせてもらったり、 ボランティアの交通費に使わせていただきました。
ボランティアが一人週に一回の訪問を無理なく続けられたのも キワニスさんからの支援があってのことでした。ありがとうございます。
天国の佳奈乃ちゃんにボランティア達で手紙を書きました。その時に私が書いた手紙を添付します。よかったら読んでください。

おもちゃびん 南

≪天国のかなのちゃんへ≫

かなちゃんと出逢ったのは、今年の6月。それから5ヶ月間、本当にいろんなことをして遊んだね。
あやとり、折り紙、パズル、粘土… どれも本当に楽しかったなぁ。何をして遊ぶときでもかなちゃんは真剣で、とても器用で、
私なんかよりもずっと上手にいろんなものを作ったね。私はいつも驚いてばかりだったよ。

かなちゃんは本当にいつも一生懸命だったから、私もかなちゃんに負けないように頑張らなくちゃ!って
一緒に遊ぶといつも力をもらっていたよ。かなちゃんのはにかんだような笑顔はと~~~ってもかわいかったから、
私はもちろん、かなちゃんに会う人はみんなその笑顔のファンになって、いつも幸せな気持ちにさせてくれていたんだよ。

かなちゃんはいつも遊ぶととても楽しそうに笑うから、遊んでいる時は病気と闘っている途中だっていうことを、私は忘れていました。

移植の日、辛い思いをしている時に、かなちゃんは『ボランティアさんに毎日来てほしい』って言ってくれたんだってね。
私はかなのちゃんに会うととても楽しい気持ちになっていたから、かなちゃんに会いたくて遊びに行っていたんだ。
でもその言葉を聞いて、かなちゃんにとっても友達と遊ぶことが、一緒にお話をすることがとても楽しみになっていたんだって
そんな当たり前のことに気がつかせてくれたんだよ。

それまでももちろん頑張っていたけれど、移植をしてからもものすごく頑張ったね。本当に頑張ったよね。
私はかなちゃんに会いに行っていたのは1週間に1度くらいだったけれど、それでもかなちゃんが頑張っていたのは、
すごく伝わってきていたよ。
自分がしたいこととか、やってほしいこととか、ちゃんとお母さんに伝えて私たちにもちゃんと教えてくれて。
かなちゃんはなんてしっかりしているんだろう、なんて頑張りやさんなんだろう、私も頑張らなきゃって思わせてくれたよ。

かなちゃん、きっと辛かっただろうね。痛い思いもいっぱいしていただろうね。我慢だらけで、不安なこともいっぱいあっただろうね。
でも、そんな中でもかなちゃんは笑顔をたくさん見せてくれたね。その笑顔はたくさんの人を嬉しい気持ちにさせてくれたよ。
かなちゃんの勇気や頑張りは、私たちに大きな力をくれたよ。

「一緒にディズニーランドに行こう。」「一緒にお菓子を作ろう。」って、私たちも一緒に夢を話させてくれたね。
夢を語ることのできる素晴らしさ、希望が与える力の強さを教えてくれたよ。

歌も一緒に歌ったね。伴奏に合わせて一生懸命歌うかなちゃん。知らない歌でも私たちの歌を聞いて、
「二人が歌うときれい」ってそんな素敵な言葉をかけてくれたかなちゃん。精一杯生きるってことを教えてくれたよ。
人の持っている強さと優しさを教えてくれたよ。

こんなに頑張りやさんで素敵な女の子と出会えて、私はすごく幸せ。それに、とっても自慢だよ。

だからかなちゃんも、頑張ったこと、思いっきり自慢していいんだよ。

かなちゃん、ありがとう。生まれてきてくれてありがとう。私と出逢ってくれてありがとう。
たくさんの、本当にたくさんの大切なことを教えてくれてありがとう。大きな、大きな力をありがとう。

そして、かなちゃんに出会わせてくれた人にも、ありがとうを伝えたいです。

かなちゃんのママ、あんなに素敵な子を産んでくれて、ありがとう。
かなちゃんの怒りや悲しみすべてを受け止め、不安から絶えずママを呼ぶかなちゃんの側に
「かなちゃんのことを大好きなママはここにいるよ」と言葉を掛けながらずっと看病をしていたママ。
そんなママを見て、かなちゃんへの大きな愛、母親の強さを感じずにはいられませんでした。
ママからも、たくさんのことを教えてもらいました。ありがとうございます。

かなちゃんのパパ、ありがとう。
かなちゃんと遊ぶと、「これはパパに教えてもらった。」「パパと一緒に作った。」ということをよく聞きました。
かなちゃんのことを大事に思っていることがよく伝わってきました。
ボランティアのことも快く迎えてくれて、とても嬉しかったです。ありがとうございます。

かなちゃんのおばあちゃん、ありがとう。
会った当初から病室を出られないかなちゃんのために絵本を持ってきたり、
かなちゃんやママの着替えを持ってきていたり、かなちゃん達を想い、支えようとしていることが伝わってきました。
学生である私たちにも声をかけ、持っている思いを話してくださいましたね。
おばあちゃんの言葉で気がつかされたこともたくさんあります。
私たちに思いをつないでくれて、ありがとうございます。

佐藤先生、他かなちゃん担当の医師、看護師さんたち、ありがとう。
私たちボランティアがかなちゃんの部屋に入ることを許可してくれて、かなちゃんと一緒に闘わせてくれて、ありがとうございます。
病院の中ではやっぱりお医者さんや看護師さんたちが一緒に応援してくれているのとそうでないのでは全然違います。
前例がないということで、大きな決断だったとは思いますが、私たちはかなちゃんと一緒に楽しい時間を過ごせて、本当に良かったです。

一緒にかなちゃんとあそんだボランティア、ありがとう。坂上さん、私にかなちゃんを紹介してくれて、ありがとう。
今の仲間と一緒にかなちゃんと遊ぶことができてよかった。素敵な仲間です。

かなちゃん、私にこんなにいっぱいのありがとうの気持ちを教えてくれて、本当に本当にありがとう。
かなちゃんがくれたものを大切にします。負けないように私も頑張るからね。絶対にかなちゃんの思いをつなげるからね。

今でも、これからもずっと私の心の中にかなちゃんは笑顔でいるよ。これからもずっと見守っていてね。
かなちゃんがいれば、私はすごく大きな力を持てそうな気がするから。

これからもよろしくね、かなちゃん
南 ゆう子

「おもちゃびんだより」第1号(2005.9.26)

私は今年の6月から、小学三年生の白血病で目が見えない女の子と遊んでいる。
ピアノが大好きで、手先が器用で、とても賢い子。笑顔がとてもかわいくて、ボランティアの人気者。もう何年も入院しているようで、先日骨髄移植を終えたばかりだ。

移植前後は普通、大人の場合無菌室には医療者さえも入らない。
かなちゃんはせまい病室に何年間も閉じ込められ、点滴で縛り付けられ、真っ暗闇の状態。
点滴のため、今は目の代わりとなる手の片方は使えない。
もちろん友だちにも会えない。
遊びたい盛りの子どもにとってはそれがいかに苦痛で、恐怖に襲われ、ストレスがたまることか。
しかし、医療者側も命を救うためにはそうせざるを得ない。
そんな中、かなちゃんはこう言った。
「ボランティアさんにもっと来て欲しい」

かなちゃんの要望を組んで、ドクターとの会議が開かれた。
ドクター側は、全責任を負って、かなちゃんの家族がそう言うなら、と私たちボランティアを入れることを許可してくださった。この判断をして下さることは、勇気のいることだったに違いない。
火曜~土曜の毎日、ボランティアが交代でかなちゃんに会いにいくことになった。
私の担当は、水曜日。

多くの人が出入りをすれば、当然感染症などにかかるリスクが増える。
それでも、「ボランティアに入ってほしい」というかなちゃんと家族の方々の要望。
移植前後に家族でもないボランティアが病室に入ることは、異例のことだ。

今、かなちゃんは40度近い熱が続いているという。
それでもかなちゃんはボランティアに会いたいと言ってくれているという。

ボランティアは、外から新しい風を吹き込む。
かなちゃんの友だちとして、闘病の応援者として、おもちゃや楽器や楽しい話を持って会いに行く。

少しでもかなちゃんの笑顔が増えますように。
少しでも私たちと過ごした時間が、彼女の病気と闘う力になりますように。
そんなことを祈りながら。

今ものすごく不安だけれど、現実を受け入れて、ドクターとボランティアの仲間と一緒に希望を持ってかなちゃんの病気に立ち向かって行こう。
かなちゃんとご家族のために、忙しい時間を割いて共に考え、ボランティアのことを理解して下さるドクターに感謝しよう。
私もこのことに関わってかなちゃんと一緒に頑張って行けることに感謝しよう。

かなちゃんのことがだいすき。
かなちゃんに、笑っていてほしい。
(日本女子大学、滋野真智子)