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2009.10.30

【会員限定】卓話「賢慮のリーダーシップ」野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)

日 時:2009年10月30日(金)13:00~13:30
場 所:法曹会館 2階 高砂
講 師:野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)
演 題:「賢慮のリーダーシップ

○講演概略(パワーポイントを使って説明)

最近の私どもの考えを若干紹介させていただきたいと思います。賢慮とは、アリストテレスが最初に提唱したコンセプトです。ギリシア語ではフロネシスといいます。これを日本で紹介したら、風呂に入って寝て死ぬのかと言われ、その方が分かりが良いと感じました。

私は二足の草鞋を履いており、経営の研究と同時に軍事史の研究に関心を持っています。その関連では「失敗の本質」を防衛大学校にいた頃に書きました。結論は「成功は失敗のもと」という簡単な命題です。生きておられるかつてのリーダーの多くにインタビューして書きました。失敗の研究は暗くなるのでやめて、元気の出る研究がしたいと、戦略の研究をすることにしました。戦略の本質は逆転の能力にあります。最初はやられたが、最終的には勝つというある種のロマンス劇的な要素を持っています。ところが、逆転現象の歴史が日本軍の近代戦にはないことがわかりました。世界のレベルで逆転現象を6つとりあげることにしました。その中から何か戦略の本質を普遍化できないかという試みでした。とりわけフロネシスの概念に最も影響をうけたリーダーの一人がウィンストン・チャーチルです。バトル オブ ブリテンという有名な戦いもありますが、全期間にわたって彼のリーダーシップが最終的には戦略の構想と実現を主導しました。最終的には戦略もリーダーシップのクオリティの問題であるという結論に達しました。様々な文献を収集しながら彼のリーダーシップの特質を6つにまとめました。

1.善悪の判断基準を持つ能力

民主主義という共通の善を守るために断固立ち上がるという意思決定をしました。当時の風潮から言えば対独融和政策がかなりの影響力がありました。私もドラッカースクールの一員ですが、ピーター F.ドラッカーは政治家の中で最も尊敬をしていたのがウィンストン・チャーチルでした。彼の最初の著作を評価したのもドラッカーでした。

2.他者と文脈(コンテクスト)を共有して共通感覚を熟成する能力

人と人との対面交流、直接経験の場づくりの配慮をしました。必ずトップとのface to faceの対話を重ねて、とりわけルーズベルトとは文通も含めてきわめて濃密な人脈を築きました。見える首相(Visible Prime Minister)、絶えず国民に見られる努力をしました。人間性を出す、喜怒哀楽をストレートに表現し、そういうことを恥じることはなかった。対話は常時動いていますから、その都度のやりとりの中で、巧みに即興的に行間を読み、共感の場づくり、対話の中で本質を直観して正当化する。ユーモアの絶妙なタイミングも知っていました。

現在私どもはこういう考えを企業にも適応しています。例えば、本田宗一郎はフロネシスという考え方に似ています。本田さんもユーモアを愛されました。本田さんのジョークの半分以上は猥談です。タイミングを失すると大変なことになりますから、センスを磨いていました。

3.ありのままの現実を凝視する能力

現場、現物、現実という生きた現場に絶えず接する努力をしていた。現場という言葉の1つはリアリティ、現場に行くが、傍観者的に観察をしている、これは哲学者の考え方です。もう1つはアクチュアリティ、現場の中に全身で入り込む、語源はアクションから来ています。現場にコミットして全身を駆使して対話をすることをチャーチルは頻繁にやりました。今ここ、here now、生きたアクチュアリティに身を置いて軍司令官と対話をした。対照的なのはヒトラーで、6年間の戦争期間中、現場にでていったのはポーランド侵攻のときのみと言われています。グデーリアン将軍が「冬のロシアの果てしなく広がる雪をその目で見て、そこに吹き抜ける 凍てつくような風を肌で感じた者だけが、このときの出来事の本当の判断を下せるのだ」と批判しました。同時にチャーチルは趣味として絵を描きました。絵というものは枝葉末節にこだわります。神は細部に宿るという言葉がありますが、真理は細部に宿ると言っても良いと思います。

4.本質や直観を生きた言語で再構成する能力

細部から大きな普遍を見出すこと、歴史的な構想力が優れていました。歴史でノーベル文学賞を受賞しています。サイエンスは同じことが何回も反復されて普遍化していきます。歴史は全く同じことは2度と起きません。1回性の現象ですが、1回性の中に普遍を見えるかという能力が問われます。起承転結の大きな物語をただ1回の個別具体の直観の中から普遍化できる、そういう歴史的方法論に優れていたのではないか。

最近マネジメントの世界でも、サブプライムの問題以来大きな反省がアメリカのビジネススクールでもおきています。反省のキーポイントは我々は分析、マネジメントをサイエンスとして捉えてきたことは誤りではないか、サイエンスは反復現象の普遍化ですから、人間の現象では同じことは2度とおきません。ただ1回のクオリティ、質的現象の中からどれだけ普遍を読み取れるかという能力こそが、未来をつくる能力です。サイエンスであろうとするわけですが、むしろアートの方が重要であるという強い反省がおきています。アートということになると、形式的、分析的な知というよりは、経験的な、暗黙的な知の比率が高まります。経験のクオリティが重要になります。同時にきわめて優れた言語化能力を持っていました。歴史、文学等々に造詣が深い。説得の言語技術がきわめて優れていました。オバマ大統領も優れたレトリックを駆使しました。「Change」と「We can do it」は考え抜いた言葉だと思います。現実から抽象化するときにどれほど深く考え抜くかという能力が重要になると思います。空襲下のロンドン市民はラジオから流れるシェイクスピア調のチャーチルの演説を聞かずに、眠りにつけなかったと言われています。

また、文章の巧みさは有名なことで、バトル オブ ブリテンに最終的に勝利したときに、ナチスのドイツ空軍を撃退した英空軍パイロットの勇敢さを讃えて、「人類の争いの歴史の中で、これほど大勢の人間がこれほど少数の人間に、これほど大きな恩義を負ったことはいまだかってない。」(Never in the field of human conflict was so much owed by so many to so few.) 詩的であり、レトリックがうまい。さすが英空軍のパイロットはユーモアに富んでいて、そこに「かくも安い給料で」とつけ加えたようです。個別の1回性の中に普遍、さらに普遍の言葉を磨きに磨いて、素晴らしいコンセプト、命題に磨き上げる能力があったということです。

5.あらゆる手段を巧みに使い概念を共通善に向けて実現する能力

清濁あわせ飲むパワーポリティクスにも長けていました。パワー体系の構築のようなことも、最も重要なポジションに自らを置くこと、政策のパートナーシップを形成するWar Cabinet、優れたスタッフを自ら選択した、オープンな討論をするけれど、最終的には独裁、聞くんだけれど、最終的には聞かないということもあり得ます。スタッフにも本質的な問いかけをしながら、「私の望んだのは、適当な討論の後に人々が私の意思に従うことであった」実に巧みなバランス能力を持っていたと思います。

攻撃精神にあふれていて、北アフリカ戦線で最終的にロンメルを倒しますが、無駄でも勝てる戦いをしました。対話は弁証法と感情的武器を駆使しながら、全身を使って相手を説得することに優れていました。パワーの使い方に熟知していました。

6.賢慮を育成する能力

部下の選抜と育成、その状況、状況に応じて人を抜擢したり、替えたりします。現実は常に動いていますから、二度と同じことが起こらないと同じようにコンテクスト毎に最善の判断が全部違いますから、コンテクストに応じて人を替えます。人材のイニシアティブを触発する、場面、場面に応じて本質的な問いかけをする、それが本質的であればあるほど、スタッフも絶えず勉強せざるを得ません。参謀長はチャーチルの問いに答えるべく絶えず勉強するという状況に置かれました。こういうことで部下を育成すると同時に究極的な徒弟制度であり、賢慮というような立ち居振る舞い、日々動いている現実の只中での立ち居振る舞いは分析的にマニュアルができません。唯一できることは徒弟である。そして背中で語るを含めて共体験の場をつくっていくことをしながら、自らのフロネシスを部下に伝承していきました。 最近のおもしろい潮流の一つは、米国でも経営者の育成は究極は徒弟制度である、昔の徒弟制度とは違いもう少し計画された徒弟を通じてしか、質の高い賢慮は共有できないのではないかと思われます。

戦略の本質は究極的にはフロネシスという質の高い知恵、知識を磨いて知恵にまで高める、つまり、知識は普遍を求めますが、現実は個別に全部違います。個別具体のその都度の動きの只中でジャストライトの判断ができるかということこそがリーダーの本質ではないか。フロネシスはアリストテレスが提唱した概念で、その意味は賢慮(Prudence)、実践的知恵(Practical Wisdom)と翻訳されています。それは一体何か。価値・倫理の思慮分別をもって、個別のその都度のコンテクストの只中で、最善の判断・行為ができる実践的知恵であります。Contextual Judgment, Timely Balancing, この二つの言葉がフロネシスのエッセンスであろうと思います。

賢慮型リーダーシップの6つの能力は、①「善い」目的をつくる能力、②場をタイムリーに創発させる能力、③アクチュアリティを直観する能力、④本質直観を生きたシンボルに変換する能力、⑤言語を結晶化する能力、⑥賢慮を育成する能力。そういうものをどうやって育成するかというチャレンジングなことがありますが、ビジネススクールのようなハウツウをやっているだけでは人間はできません。これは我々が深く反省しているところです。

最近アメリカも反省して、21世紀に向けての挑戦として25項目の提言がありました。その3番目が教養で、神学まで入っていておもしろいと思います。もう一つはハイクオリティの経験がないと、本当のTimely Judgmentはできないのかなと思います。極限体験(畏敬)、一流との共体験、失敗の経験等々、無限のエクセレントの追求、そういうものが必要ではないかなと思います。

現実はその場その場で絶えず変化しているわけですから、客観、主観、言語、経験、普遍、個別具体、理想と現実、つまり暗黙知と形式知をスパイラルに回し続ける。対話と実践を媒介に、場を重層的に積み上げていく。こういうリーダーシップが、これからますます要請されていくだろうと思います。一言で言うならば、知的体育会系(Intellectual Muscle)かなと思います。実践の只中で深く考え抜く(Contemplation in Action)、これが実践知のリーダーシップではないかと思います。 我々が考える企業のマネジメントのエクセレントな経営の本質は、何のために生きているか、何が真善美か、存在意義は何なのか。理想を一方に持ちながら、実はしたたかである。経営というのはマネーメイキングマシーンではなく、生き方ではないか。日々練磨するというのが経営のあるべき姿であろう。我々も日本の優れた経営の先輩を突き詰めていけば、こういうことをやってきたんだ、これを普遍化して世界に発信する、実行の時期ではないかと思います。